プロフィール

四天界 静香

Author:四天界 静香
天使を始めとする光の存在たちとコンタクトを取り、メッセージを受け取ったり、ビジョンで見せられたことを、ブログで公開しています。

「天使のヒーリング相談 四天界 静香」(http://www.rak2.jp/hp/user/virl17jp/)

ブログ「光の道を歩む」(http://ameblo.jp/ryujin-angel/)

著書:

1「天使からのメッセージ」あなたは天使といつもつながっている(文芸社)
2「きらめく地球へ」天使からのメッセージ2(文芸社)
3「アセンション 光に生きる」(アーバンプロ出版センター)


最新記事


最新コメント


最新トラックバック


月別アーカイブ


カテゴリ


DATE: CATEGORY:スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
DATE: CATEGORY:スピリチュアル
私:「蔵之介、またまたご無沙汰してしまって、ごめんなさい!
あっという間に1ヶ月以上たってしまい、更新を待っている人たちに申し訳ないよね。」

蔵之介:「待っている者たちも、おまえの忙しさを理解しているさ。
おまえは今回伊勢に行き、新たな使命がスタートし、何をするのかまだ手探り状態だしな。どちらにしても目の前にあることを、これまで通り一生懸命にやっていけばいいさ。俺たちは応援している。」

私:「ありがとう。
今日は月1回の『祈りの会』の日だったんだけど、先月と同じようにビジョンで、また黒い人影が地球から、ポタポタ落ちているのが見えたんだ。
先月はゆっくりと人影のしずくは落ちて行ったけれど、今月は落ちる速度も速くて、落ちる人影もたくさんになっていた。
それを見てショックというか驚いて、しばらく見続けてしまった。そして先月と同じように地球の上の方は輝いていて、そこにいる人たちはニコニコしていた。
このビジョンはすみ分けが始まっていると思ったんだけど、先月より落ちる人も多くなって落ちる速度も速くなっているということは、どんな意味があるんだろうと思って・・・
蔵之介は分かる?」

蔵之介:「落ちている者たちは、光とはほど遠い、光に生きていないということで、彼らが一番安心する場所に行っているということだ。
彼らが一番安心する場所は、おまえが見た暗闇の世界だ。
おまえはそこに行ったんだろ?何を見た?
暗闇の中で同じような人間たちの、つぶやきを聞いたんだろ?
おまえはつぶやきをしばらく聞いていたが、あまりのひどさに耐えられなくなり上がってきた。

先月より彼らが落ちる速度が速まったということは、そちらの世界の入り口が開いたということを意味している。
彼らの好む世界の入り口が開き、彼らは自分たちの望み通りにそこに行っているだけさ。それをおまえが見ると、地球から落ちて行っているように見えるだけで、彼らにしてみれば落ちているのではなく、自然にそちらに行っていることになる。
自分が一番安心して身をおける世界に、自ら行っているということさ。」

私:「そうなんだ・・・。
あなたの言うとおり、地球からどんどん落ちて行く彼らを見ていて、一体どこに行くのだろうと思い、彼らの行き先に行ってみたんだ。
そこはたくさんの人たちがいて、マイナスの言葉ばかり聞こえてきた。
誰もそこから出ようとしなかった。そこにいてマイナスの言葉を言いながら、一体になっているように感じた。
だけど私は一体になれなくて、耐えられなくなって逃げ出したんだ。

入り口が開いたって、どういうことなの?」

蔵之介:「これまで地球上では、雑多な世界が繰り広げられていた。
波動の違う者たちが同じ世界に暮らしていて、そこからそれぞれ学びを得て成長してきた。けれど今後はそんな世界はなくなり、それぞれの波動に合わせた世界に行くことになっている。

極端な言い方をすれば、光を選択した者、光以外を選択した者に分かれ、それぞれの世界へ今後移行することになる。
光以外を選択した者たちの新たな入り口が開かれ、どんどんそちらへ移行するようになってきている。
それはまだ意識だけのことで、身体が移動するのではない。
それと同じように光を選択した者たちの入り口も、開かれている。
それはおまえと仲間たちがこれまで柱を建てたり、扉を開いたりしてきたおかげだ。
それぞれの入り口が開かれ、そこに行くべき者たちが移動しているということさ。
それをビジョンで、おまえは見せられたということ。
今後はますますそれが、顕著になってくるだろうな。」

私:「なるほど、よく分かったよ。
今は意識上で行われていることだけど、それがいずれ身体を伴うものになるということなんだよね?
それがアセンションになるのかもしれないね。」

蔵之介:「ああ、いずれ意識だけではなく、おまえたちの身体も移行することになる。
それがどのような形で行われるのかは、俺は知らされていないから分からないが、もう意識の上でそれが行われているということは、必ず本体にも起きるということだからな。
後はおまえがいつも言っているように、淡々と光の道を歩むことだな。」

私:「うん、そうだね。自分はどっちなんだろうと心配するより、光に生きることを実践することで、光の側にい続けることが出来ることを、しっかりと知って欲しいよ。

今私はどちらにいるのか?を模索する時ではなく、ひたすら光の道を実践する時なんだよね?
実践あるのみだと思う。
光に生きることを実践していけば、自然に光に導かれるんだもの。
余計なことは考えずに、ひたすら光を実践していけばいいと、最近強くそう思うんだ。」

蔵之介:「ああ、俺もそう思う。今は実践の時だよ。
どれだけ光に生きることができるのかを、一人一人が目指していけばいい。
光に生きているのかと悩んだり迷ったりしている時間があったら、すれ違う人に微笑む時間を作って欲しいよ。
それが光に生きるということだからな。
光に生きることを積み重ねる、それが今求められているんだ。」

私:「うん、そうだよね。蔵之介、ありがとう!」




ランキングに参加しています。クリックをお願いします。
DATE: CATEGORY:スピリチュアル
私:「蔵之介、毎回更新が遅くなってごめん!そんなに日がたっていないと思っていたけど、すごく時間がたっていたんだね。」

蔵之介:「ああ、そうさ。おまえの読者は首を長くして、更新されるのを待っている。
おまえはこのところやらなければならないことが多すぎて、こちらのブログを書くことを忘れていたようだな。
まあおまえの役目を考えれば、仕方のないことでもある。

おまえにはやってくれと依頼してくる存在たちが多すぎて、順番待ちをしているようなものだ。
それだけ役目をやれる者が少なくなっているし、依頼しても途中でダメになるケースが多い。
だからおまえに依頼すれば、確実に行ってくれるから、どんどん依頼がやってくる。

それをおまえは断らず、自分に出来るのならと引き受けている。
そして見事にやってのけている。
それもすごいことだが、そのおかげでおまえのエネルギーも、どんどん変化していっている。俺も追いつくのがやっとの時もある。」

私:「へえ~、そうなんだ。
私も自分でめまぐるしく、エネルギーが変化しているのは感じるよ。
本当にここ最近の神事で、変化が著しいなと思った。
変化というより、やってきてくださる神さま方が増えていって、たぶんまだ誰も私から離れていないような気がしているんだ。
ずっとそばにいてくれている様な気がするし、ビジョンでもそう見える。」

蔵之介:「ああ、そうだな。
神さま方はおまえのことが気に入り、おまえと一緒にいたがっている。
それにおまえは光の会で神さま方のエネルギーを、分け与える役目がある。
そのためにも、おまえのそばにいるということだ。今後も神さまは増えていくだろうな。」

私:「そうだよね~。私もそんな気がしているよ。
どんだけ~という思いもあるけど、来てくださるのなら、よろこんでお迎えしたい。

さて、今日は何を話してくれるの?」

蔵之介:「そうだな、今日は自分の中にある神性というものを考えてみよう。
神性といっても何のことやらさっぱりわからんというかもしれないが、要するに人間は神に似せて作られているのであって、一人一人の人間の中には必ず神が存在しているんだ。

自分の中に神がいて、しっかりと自分の中で生きているということ。
神は外にいるというのは、自分の中に神がいないと思い込んでいる者たちが言っていることであって、真実ではない。
神は常に人間の中にいて、人間と共に生きている。
だからおまえたちの魂は、輝くことが出来る。」

私:「うん、そのことはなんとなく自分の中では、理解出来ていると思う。
でも神が人間の中にいるのに、なぜ人を殺したり人に意地悪したりする人がいるのかしら?
神がいるんだったら、そんなこと出来ないんじゃないの?」

蔵之介:「ああ、そうだな。
神がいるから神と同じというわけではないさ。
おまえたちは神に似せて作られているけれど、神と同じということではない。
神に近づくために日々修行の身であって、神のように振舞うことは、なかなか難しいだろ?
だからいろんな経験をしながら、神に近づこうとしているのさ。
一つ一つの出来事を経験しながら、そこから学びを得て、今より向上しようとしている。それが人間だよ。」

私:「なるほど、そうか、そうだよね。
神さまと同じじゃないんだものね。まだまだ神さまには、ほど遠いものね。」

蔵之介:「それに自分にとってマイナスと思われる出来事からでも、人間は学ぶことが出来る。
それをばねにして、這い上がることだって出来るんだ。
良いことも悪いこともすべてが、自分の身になっているということ。

そもそも良いこと悪いことというのも、存在しないんだ。
人間がそれを決めているだけであって、出来事には良いも悪いもないんだよ。
人間がそれを、どう受け止めるかだけだよ。

自分の中に神のかけらがあるのだったら、神と同じようになることも出来るし、神の心も分かる。
神が何を人間に、望んでいるのかも分かるんだよ。」

私:「神さまが私たちに望んでいることって、何なの?」

蔵之介:「それは一言でいえば、『たくさんの経験を積む』ことだ。
生きている間にいろんな経験をして、それが自分の血となり肉となることを、神は望んでいる。
経験すれば、それが自分の財産となり、自分を成長させることが出来るからだ。

神は人間たちが多くの経験をすることを、心から望んでいる。
人間たちが経験を重ねることは、神の財産ともなる。
神は人間たちの財産を、共有したいと願っているんだ。」

私:「へえ~、そうなんだ。
私たちがいろんな経験をして、よろこんだり、楽しんだり、泣いたり笑ったりすることを、神さまも共有しているんだね。
神さまは人間の経験を共有することで、私たちと同じ位置に立ってくださっているんだね。

私たちと神さまは同じで、区別する必要はない。
それは他の人も同じで、他人だからと区別する必要はない。
皆同じで、皆神さまを心に持っているんだものね。」

蔵之介:「ああ、そうだ。
そう思うと人を区別しようなどと、思わなくなるだろ?
人も神さまも、自分と同じだと思える。

人間は根っこは神さまにつながっている同士であって、今は個体として区別されているが、元々は同じところからやってきている。
それが分かれば、仲間を殺めたり傷つけたりすることは、出来ないんじゃないかと思うよ。」

私:「本当にその通りだね。
私たちは皆一つで、すべての人間は神さまとつながっている。
それが分かれば、心から理解できれば、他人を他人と思えなくなる。
自分と同じと思うようになる。

すべての人がそう思えるようになれば、この世は全く違ってくるだろうね。
それこそ光の世界が広がるんだよね!

ありがとう、蔵之介!」




ランキングに参加しています。クリックをお願いします。
DATE: CATEGORY:スピリチュアル
私:「蔵之介、ずいぶんご無沙汰してしまって、ごめんなさい!」

蔵之介:「ああ、俺はいっこうにかまわない。だけどおまえの読者は、ずっと待ち続けているからな。そろそろだろうと思っていたが、今日はちゃんと話をしよう。」

私:「うん、本当にごめん。これまで何度もこうやって話は書いていたんだけど、いつも中途半端になってしまって、ブログアップしていなかったから。
今日こそはちゃんと最後まで書こうと思ってる。よろしくお願いします。」

蔵之介:「ああ、そうだな。おまえはやっと一段落ついた感じだ。
富士山神事に思いが集中して、他のことは二の次になっていたからな。
しかも今回は5人も連れて行くことで、おまえの責任感はこれまで以上に強かった。
見えないところで、緊張もしていただろうし、5人のことを見ながら神事を行うことは、おまえにとってエネルギーを使ったはずだ。
でもおまえはこれまでと変わらず、いつものおまえらしく存在していた。」

私:「どうもありがとう。
5人の強い魂のおかげで、無事に神事を行うことが出来た。
今日仲間の一人が富士山ライブカメラというのを教えてくれて、それで今の富士山を見たら、とても調和していて、目頭が熱くなった。
よかったと心から思えたよ。」

蔵之介:「ああ、俺も同じ思いだよ。
富士山は見事に調和している。
これでおまえたちが間違いなく神事を行ったことが、証明された。
後は時を待つばかりだ。

さて、今日は今後の心がまえを話そうと思う。
今後富士山が開き、これまでにないエネルギーが出てくるようになる。
その時にあわてず騒がず、淡々といられるよう、俺からのアドバイスだ。

一番伝えたいことは、今までと変わらず淡々とするということだ。
生きていると日々様々な出来事がある。その一つ一つに一喜一憂するのではなく、すべてを受け入れる覚悟を持つこと。
すべては自分にとって必要なことで、ベストなタイミングでやってきていると思うこと。

でもそれが強くなりすぎれば、この出来事は何の意味があるのだろう?これは私にとって、どうすればいいのだろう?と考えに走ることになる。
そうなるとそれに固執することになり、執着となる。

一つ一つの出来事に意味を見出すことは必要だが、必要以上に意味を見出さなくていい。
要するに、ほどほどにということだ。中庸と言う言葉があるだろ?
常にほどほどにするということだ。

これはどうなんだろう?これは何か意味があるはずだ。このことは自分にとって、何を伝えようとしているのだろう?と激しく思わないこと。
ちょっと思って分からなければ、そのままにしておけばいい。
そして『いずれ分かる時が来る』と思えばいい。

そうではなく、何がなんでも起きたことの意味を知ろうと必死になればなるほど、『淡々と』から離れていき、執着の世界へ直行してしまう。
そして考えれば考えるほど分からなくなり、そればかり気になり、人生を楽しむことを忘れてしまう。
それは全く俺たちが求めていない生き方だ。
それは物事に固執し、執着し、考えで堂々巡りをしてしまう、重たい重たい生き方になる。
それを知らない者たちが、多いよな。

すべてのことは意味があるという言葉に囚われて、何でもかんでも意味を見出そうと必死になる。
意味なんて、後から分かることの方が多いのに、今必死で求めようとする。
分からなければ分からないでいいんだ。そのうち分かるんだから。
もっと楽に生きればいい。必死になる必要はない。

なぜこんな話をしたかというと、今後意味が分からない出来事が、たくさんやってくるかもしれないからだ。
そこに必死になって、意味を探そうとすれば、必ず執着へと導かれる。
一つ一つのことに執着すれば、軽さなんてやってこない。
意味が分からないことがあったとしても、いずれ分かると思い、それを手放す方が、軽々と生きることが出来る。
一旦手放し、それが後から分かることの方が、その間別な生き方が出来るわけだろ?
その方がどれほど、精神的にいいか分からない。
出来事に囚われるな、ということを俺たちは伝えたい。」

私:「なるほど。よく分かるよ。
私も何かビジョンを見せられ、意味が分からなかった時、それは何を意味しているんだろうと、懸命に分かろうとした時があった。
でも分かろうとすればするほど、訳が分かららくなって、頭の中が考えで堂々巡りをしていた。
それにある時ハッと気づき、もうわからなくても、いいや!と思ったんだ。
そしたら忘れた頃に意味が分かった。
だから無理に意味を分からなくてもいいことが、その時の経験で学んだんだよね。
だから今は意味が分からなくても『いずれ分かる』と思って、執着しないようにしている。」

蔵之介:「ああ、その通りだ。その時に分からなくても、いずれ必ず分かる時が来る。
そう信じて分からなければ、分からないままにしておくことが、一番早く答えを導くカギなんだ。
分かろうとすればするほど、それに執着してしまうことになり、変なエネルギーを受け取ることもあるからな。
だから今後意味の分からないことに遭遇しても、いずれ分かると思って欲しい。
答えは必ず分かる時が来る。」

私:「うん、よく分かったよ。
意味の分からないことには執着せずに、一旦手放す。
そうすれば必ず分かる時が、やってくるんだよね。
『手放せば、いずれ浮上する。』これも法則だよね。
ありがとう!蔵之介。」




ランキングに参加しています。クリックをお願いします。
DATE: CATEGORY:スピリチュアル
蔵之介:「おまえはこれまでたくさんの人間に会い、光を分け与えてきた。
そのことを神が大変よろこばれ、おまえに神のエネルギーを見せると言っている。
そのことはさきほど、メッセージとして受け取ったよな?
でもおまえはそれを、ブログに書くことを躊躇している。
ブログに書くことでそれがエゴになりはしないか、書かない方がいいのではないかと思っている。

けれどな、神はおまえを通して、おまえとつながっている者たちに、神のエネルギーを分け与えると伝えてきた。
神のエネルギーといっても、人間は直接受け取ることは出来ないから、媒体者を通してということになる。
神とおまえたちとは次元が違いすぎて、直接話をしたりエネルギーを受け取ることは不可能だ。

神はおまえだけにエネルギーを分け与えるのではなく、おまえとつながっている者すべてに、分け与えると言っている。
しかもそれが今日、行われると言われている。
だから意識して受け取った方が、より多くのエネルギーを受け取ることが出来るんだ。
これを伝えずに、どうするんだ?」

私:「うん、そうだよね。
私が自分のブログに、そのことを書くことを躊躇しただけなんだ。それもエゴになるんだろうね。
だから蔵之介の口からそれを伝えてもらうことで、私としてはより詳しく伝えることが出来ると思っているから、本当に良かった。」

蔵之介:「ああ、おまえは自分について書くことを、極端に嫌がるからな。
おまえの働きに神が感謝し、それを形にして届けたいということだけなのにな。

神のエネルギーは通常、受け取ることは出来ない。
なぜなら神が特定の者に対して、エネルギーを分け与えることはしないからだ。
でも今回はおまえの今までの長い期間の働きに、神が心から感謝したいと願ったからだ。
だからおまえとつながっている者たちに、神のエネルギーを分け与えたいということだ。

ただしこれには条件がある。誰でも彼でもエネルギーを分け与えることは出来ない。
おまえに出会い、光に導かれた者、おまえのブログを読み、光の道を実践している者、おまえに心から感謝している者に限られる。それは当然だよな。
おまえのブログを読んでいても、ただの読み物としてしか興味なく、光に生きることを何も実践していない者には、おまえとつながることが出来ないという意味で、受け取ることはできない。
おまえのブログを真摯に読み、光に生きる道を悩みながらも実践している者、あるいは光の会に参加し光を受け取った者、おまえのブログや生き方に共感し、おまえに心から感謝している者だけだ。

神のエネルギーは今日中に、それらの者に送られる。
自分は受け取れると思うのなら、しっかりと意識して受け取ればいい。
そうすればよりいっそう、光に生きることが出来るようになる。
それを実感できるということさ。」

私:「そうなれば、本当にありがたいね。
エネルギーを受け取ることで、よりいっそう光に生きることが出来る、たぶん光に生きることがより楽になるんじゃないかと思うけど?」

蔵之介:「ああ、その通りだ。
今日中といってもすでに午後になっているが、受け取れる者たちは、必ず今日中に受け取ることができるようになっている。
だから安心して受け取って欲しい。」

私:「多くの人が神のエネルギーを受け取り、より輝くことが出来れば、私も本当に嬉しい。それが私にとって、何よりのプレゼントだよ。
私がよろこぶことを、神さまはちゃんと知っているということだよね。
神さまはちゃんと、見ていてくれたということだよね。ありがたいなあ~。

エネルギーを受け取るには、『神からのエネルギーを受け取ります』と宣言すればいいの?」

蔵之介:「ああ、そうだ。ただ自分に宣言すればいい。
そうすればすぐに流れていく。簡単だろ?」

私:「うん、簡単だね。

今試しにやってみたら、ものすごい勢いのエネルギーが頭に注がれ、感動で涙が出そうになった。それに身体が熱くなってきた。
一度受け取ると、ずっと注がれているような気がする。」

蔵之介:「ああ、一度受け取れば、それは永遠に続く。それが神のエネルギーなのさ。」

私:「すごい!こんな素晴しいエネルギー、本当に多くの人に受け取って欲しいと思う。
神さま、ありがとうございます。」





ランキングに参加しています。クリックをお願いします。
DATE: CATEGORY:スピリチュアル
私:「前回のブログで、『余計なことをするな』ということについて、何件かの問合せがあったんだ。
これは余計なことでしょうか?あれは余計なことになるのでしょうか?とかえって皆さんを不安にさせたようで、ここはもう少し詳しく伝えた方がいいと思うんだけど。」

蔵之介:「ああ、そうだな。余計なことをするなと言われ、自分が今やっていることが余計なことなのか、それともやっていいことなのか、不安に思っているやつらがたくさんいるのを、俺も感じ取っている。

だけどな、おまえのブログを読んでいる者たちは、『余計なこと』が何であるのかは、よおく理解していると思うが、どうだ?
おまえがこれまで書いてきたブログに、その答えがあるのに、そのことを忘れたのか、ただ読んだだけで心に刻んでいないのか、すぐに不安になりおまえに助けを求めてくる。
そんなやつらには、おまえのブログをもっと読み込み、しっかりと受け取れ!と言いたくなるが・・・」

私:「確かにそう言われればそうだけど。
人間はすぐに忘れてしまう動物だから、仕方のないことなのかもしれないね。
ブログをいくら読んでいますと言っても、そのすべてが心に刻まれているわけではないから。1回読んだだけでは、心に深く入ってこないんだと思う。

これまで何度も天使たちが伝えてきたことが答えなのに、それが分からない人たちがこんなにたくさんいることが、私にとっては正直ショックだよね。
でもそれも人間のサガだから、仕方ないと思う。
こういうことは繰り返し繰り返し、伝えなければならないんだと思うし。」

蔵之介:「ああ、そうだな。繰り返し伝えるか・・・。
人間の浅はかな部分が、見事に露呈しているな。
それでも俺たちはあきらめず、おまえの言うとおり、繰り返し伝えていくしかないんだろう。
2人で嘆いていても始まらない!
ではじっくりと、余計なこととは何かをお伝えしよう。


俺たち光の側が人間に望んでいることはただ一つ、そのままのおまえたちでいることだ。
それだけが、俺たちの望みなんだ。
そこで余計なことはするなと伝えたのだが、その意味は、おまえたちの出来る範囲を超えずにということだ。
出来る範囲を超えてまでやることが、余計なことになるということだ。
出来る範囲を超えるということは、必ずストレスが生じ、無理して行うようになる。そうなるとヤミーが喜んでやってくるということだ。
自分の出来る範囲で、喜びを持って行うことが出来れば、それは余計なことではなく、大いにやってもらいたいことだ。

どうも新たに何かを行うことが、余計なことと思っている者たちが多い。
そうではなく新たにやること、やりたいと思っていることが、自分の出来る範囲を超えなければいいんだ。
余計なことをするなというのは、全く何もせずに、家でじっとしていろということではない。
そう思っている者たちがたくさんいると思うが、よく考えてみろ!
そんなことを俺たちが望んでいると思うか?
ただ家に引きこもり、何もせずにじっとしている者たちを見て、俺たちが喜ぶと思っているのか?
そんなことを俺たちは、全く望んでいない。

おまえたちが心から喜び、心からやりたいと願っていることを、自分の出来る範囲を超えずに行うことを、俺たちは求めている。そういう意味だ。
こう言ってもまだ分からないやつらがいると思うが、たとえばおまえが何かやりたい、あるいは何かやっているとしよう。
それはおまえが心からやりたいと思っていることなのか、それをやることによっておまえの魂が喜ぶことなのかを考えてみればいい。
答えがYESならば、それを行う。
けれどそこで自分の出来る範囲を超えないことが、一番大切だ。

やりたいこと、やっていることがストレスになったり、無理をしていると感じれば、それをやめるか、やっていることを縮小するかだ。
自分に負担のかからない範囲で、やりたいことを行う。
それが俺たちが求めいてることだ。

無理をしたり負担になったりすることが、俺たちが言う「余計なこと」だ。
おまえたちが心からやりたいということが、負担にならない程度に行なうこと。
「やり過ぎない」ということだ。
いくらやりたいから、無理をしていないと言っても、周りとの調和を保たなければならない。
家族をほったらかしにしておこなったり、周りが引くようなことは、「余計なこと」につながる。
いくら自分がやりたいからと言って、相手が求めてないことをおこなうことも、「余計なこと」につながる。
大切なのは、周りとの調和をはかりながら、自分のやりたいこと、自分の出来る範囲のことをおこなうことだ。

いいか、何度も言うが、俺たちがおまえたちに望んでいることは、そのままのおまえだ。
何をしてもいいが、それは「自分の出来る範囲」でおこなえるもの、そして周りと「調和」するものを求めている。
これだけ言えば、わかってくれるだろうか?」

私:「うん、大丈夫だと思う。
天使たちもずっと以前から、「自分の出来る範囲で」を繰り返し伝えてきた。そして「調和」が何より大切だということも。
調和の中でおこなうことは、無理は生じないし、負担にもならない。ただ喜びがあるのみだものね。
これは余計なことかな?と思った時は、先にそれが周りと調和することなのかを考えれば、分かりやすいと思うよ。調和するのなら、やってもいいということだよね。」

蔵之介:「ああ、そうだな。まずは調和かもしれない。すべては調和の中に存在するからな。調和すればすべては良い方向へ行く。
自分や周りが調和していれば、余計なことはしなくても済む。いや、余計なことなどなくなるさ。」

私:「すべては調和の中にか~・・・。いい言葉だね。

『余計なこと』は、あなたが苦しむこと、イヤだと思うこと、ストレスに感じること、負担になること等、マイナスに片寄ること。そう思えば分かりやすいかもね。」

蔵之介:「ああ、そうだな。極端に言えばそういうことだ。
自分の魂が望まないことをやらないこと、そして望んでいたとしても、やりすぎて負担にしないこと。
それさえ守れば、『余計なこと』にはならない。」

私:「ありがとう、蔵之介!」






ランキングに参加しています。クリックをお願いします。

copyright © 2017 蔵之介からの贈り物 all rights reserved.Powered by FC2ブログ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。